とき子のインナートリップ

 

 

 Who am I  ・・・・  マーヤー


 

 

 

 

 

マーヤー ・・・・ 見る者であり、ある者



 私はようやくあのパニック状態から脱しつつあった。私の内側は輝きつづけ、私はその輝きに吸い寄せられた。もう何もいらない、私はもうこれでいいんだ、これこそ私のすべて、この為に私は生きている。思うより先にそうであった。そして肉眼で見る外の景色は白黒の世界が展開していった。あれほどいとおしくわが身同様であった子供達が夫が白黒であった。何もかもが白黒であった。現実と思っていたものがモノクロの幻であった。この世の中は幻、マーヤーだと言うけれど本当に幻なんだ、マーヤーとはこのことを言うんだと思ったものである。50歳の現在、私はそれを知っているが、それでも子供達や夫はいとしい。                         

  その後も長い間には数々の学びの機会を与えられてその多くは魂の良き糧となった。そしてそれらはすべて光である私自身を新たな角度から私は誰かと問いなおすものだったように思う。また今日まで無事に進んで来れたのは大いなる者に、大いなる存在達に常に道を間違わぬように導かれ、守られていたのだと思う。数々の出会いもあった。我がいとしの導師、最も尊敬する弘法大師、空海様そして霊峰、高野山。もしもできるものなら弘法大師の生きた同じ時代に私も弘法大師の傍で生きたかったと思う。いまも高野山に年に何度かは足を運び、その度に弘法大師と高野山の霊気にいだかれる感覚が私を満たす。合わせて高野山へ行きたいという声を聞けば連れて上がるのが私の役目、空海様との約束事のように感じている。また、身体と意識がばらばらになったと感じた時にであったヨガと羽成孝先生。自分の内側から前へ前へと押し出されていつのまにかヨーガ講師になっていた。瞑想をするものにとって肉体と意識のバランスを取る為にヨガは大事にしたいものの一つである。そしてヨガを通してしったアートマビチャーラ、真我の探求の道と恩師、橋本創造先生。先生は長いこと私の師であった。そして、誰よりも南インドの聖者ラーマナマハリシと聖山、アルナーチャラ。

 その日の夜、ベットの上で瞑想をしていた。真正面の窓にはさえぎる雲一つない満月がこうこうとひかり深夜の空にぽっかりと浮かんで私を照らした。目を開けた私は吸い寄せられるようにその月を見つめる…。ふと、なんにも関係ないんだ、という思いが内側から発せられた。その瞬間、まるで別の次元か何かに瞬間移行したような、どこまでもどこまでもただ、ひたひたとした静けさと満々とした至福があふれ出て私を溶かした…あとはもう何も…。そしてあさになっていた。私はコーヒーをいれる、子供を学校へ送り出す、その私は私ではなかった!。本当の私は静かさと共にただあった。ただあって、私はただ見るものであり、ただ在るものであった。この奇妙な言葉では著しにくい明らかな二重の感覚はその日昼頃まで続いた。

 

 


 

 

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